わたし・・よろしく!




ひとりごと


意志について





病院へ向かう足どりは重く地面にへばりつき、頭上からは真夏の太陽がギラギラと照りつけている。 
これから一体どうなるのだろう。もう駄目だ!頭の中は混乱していた。
姉に付き添われて病院へ向かったあの日の思い、あの時の太陽の痛さはいまも忘れない。


「アルコール依存症・コントロール障害」思いがけない病名を宣告された。  
飲み続ければ最後には命を落とす、進行性の恐ろしい《病気》であると。


長い間飲み続けた酒、少しづつおかしくなっていく自分に気づき、もう酒は絶対飲まないと思いながら、どうしてもやめられなかった。
そして、全てを失った。


アルコール依存症についての知識を勉強し、断酒の決意を固めるために3ヵ月間の入院生活を送った。 夏から秋へ、酒のために、いつの間にか忘れかけていた季節を感じながら・・・・・。




平成7年7月・県立岡本台病院へ3ヵ月入院。
自助活動で、週に3日〜4日断酒会とA・Aに参加。

退院後11月1日付けで断酒会に入会するも後悔ばかりで、酒への未練断ち切れずに、まだ節酒が出来るかもしれないなどと、悪あがき。
しっかりと「断酒の決意」が出来たのは、12月になってからだった。

最初は「我慢の断酒」そのもの。
入会して間もなく会員さんに「断酒していることは、酒害活動になっているよ。」と言われても、なんのことか分からず、随分あとになって、なんとなく頷けた。

断酒継続一年の表彰を受けた時、何か、自分に出来る事をしようと考えて、自分の名前からタイトルを《賀満・GAMAN》とつけ、書いてみようと思った。
断酒の手段のひとつと考えていたので、ストレス発散と、密かに自分を褒める場所だった。
誰にも見せるものではなかったが会員さんに話をしたら、機関誌上で「3号雑誌に止まることなく我慢の断酒から更なる断酒へ」と励まして頂いた。

最初は何もする事がなく1ヵ月に一度のペースで書いていた。
少しずつ忙しくなり、2ヵ月に一度になったときもあったが、今年(平成17年)1月で68号になっている。が、今は、ストップしたままだ。

姉の配慮で、初代パソコン・ナオくんが私の家に来たのは '03年の暮だった。その後、忙しくしていたのでプロバイダとの契約は、翌年'04の3月。
エクセルで計算が出来るようになった頃、二代目・コォくんを会の方から頂いたのが昨年の今ごろ。「死ぬまで使える。」とみんなが言うので、それならと、日光彫りの「趣味の会」の旅行に行かず、そのお金でデジカメを買い、(ウワ〜ッ、こんな事まで書いちゃった〜)画像にも挑戦した。

1号は手書きで、その後、友人からワープロをいただき、ワープロで書いていた《勝手きままな新聞・賀満 GAMAN》をパソコンで3号分作成したが、なんと便利なこと。何故なら、今まで写真を入れたいときは、レイアウトをし、写真をコピーして張り付け作ってきたからだ。
この便利さを利用しないでおくなんて・・・・・と思い、大それた事を考えた。いつか作りたいと思っていた、ホームページを作ってみよう・・・・・と。

急遽、ホームページ作成に挑戦することにした。

入会当初とは違い愚痴も少なくなってきたし、(愚痴をこぼすことはいけないが)話せる仲間も出来て、それなりに解決出来るようにもなってきている。


60の手習いで始めたパソコンなので、色々と悪戦苦闘しながら頑張っている。

細かい事は嫌いではないが、車の運転をしながら、構造が何も分かっていなかったように、パソコンのことをよく知らないで始めたので、文字入力はなんとかなっても肝心なところが分からず困ってしまう。でも、要点を教えて頂いたのでなんとかなりそうだ。

「頑張り過ぎないで、頑張りなさい。」と、まるで、断酒会の人が励まして下さる言葉と同じようなメールが届き、とても嬉しかった。有難うございます。



 と、いう訳で、
私のホームページが立ち上がるのです。
《自分勝手》ではなく、息抜きをしながら、自分自身のため、断酒継続の一助になればいい、そして、少しでもお役に立つページになればいいなと思っている。
2005.7



ページのトップへ


長くなって、すみません・・・・・まだ、続きがあります。お付き合いください。




不安を抱いたままで退院したあの日。あれから10年目の夏が来ます。
多くの方々の力を頂きながら、いまはどうにか人間らしい普通の生活が出来るようになりました。
まだ断酒している最中です。一口飲めば、また10年前の自分に戻ります。
これからも、初心を忘れず、一日断酒・例会出席をモットーにして、歩き続けたいと思います。


「 初心を忘れない!! 」 をいつも心に、例会出席をしております。
後悔ばかりが先に立ち、泣いてばかりいたあの日の事を思い出せば、決して酒を口にすることはないと思います。
ハンドル
 ネーム
断酒会会員
saiki (再起しましたということで)
平成7年11月1日付で (社)栃木県断酒ホトトギス会 宇都宮断酒会西支部入会
その後、中央支部に移動し、住所変更と共に、現在は南支部に所属している。(追記)
出 生 地 台 湾
出 身 地 宮城県
年   齢 思いがけず64歳
職   業 無 職
家   族 ・母・姉2人・妹1人
院内例会で
ドキッと
した言葉
夏は冷房、冬は暖房、三食昼寝付き、ホテルと勘違いしてはいけない。
きちんと、目的意識を持って過ごしなさい。
退院後に機関紙
【日光】を読んで
感動した
文の一節
『どうすることも出来ない過去の事をくよくよするよりも、これからこうする事が肝心だ』ということに、はじめて気が付いた。
私の未来はバラ色だと言ったら若い人に笑われるであろうが、私の今の心境はそうなのだ。
何故なら私は酒とプッツリ縁を切ったからだ。
私に感動を与えてくれた文と、院内例会での言葉を下さった人は、図らずも同じ方だった。
54歳で断酒会に入会し、会の為に尽力され、84歳で亡くなられた。
私も、そう在りたいと願って、努力している。
趣  味
日光彫. グラウンド・ゴルフ.  
昔、ボウリングの全盛期時代はボウリングに明け暮れていた。
中山律子さんも(今この人を知っている人はいるのだろうか。中山さんに悪い!)
参加した関東大会に選手で出場したことがあった。(自慢しちゃった!)


人間関係
壊れた人間関係を修復するために、市の編集委員に参加させてもらい、その後、シルバー大学に入学して、日光彫を選択。
クラブ活動でグラウンド・ゴルフに入会して班の方々と共に、OB会でいまもお付き合いをさせて頂き、とても有難いと思っている。

有難いと思ったこと ご家族の方の話に反発していた私ですが、その言葉をしっかり受け入れなければ断酒していくことは出来ないことが分かり、
本当は一番有難い言葉だったのだと思いました。
多くの方々のお力をいただきながら断酒継続ができています。
自業自得 と
残念に思うこと

どん底に落ちた。

10年経った今、苦しんでいる人から電話を貰ってもすぐに行ってあげられないのがとてもつらい。
岡本台病院の黒田先生に話したら、「自分に出来ることをすればいい」と言って頂いた。
自分でもそう思っているのだが、つい、出来れば、なんとか・・・・・と思うときがある。



退院後の通院で「もう少し、早く断酒すれば良かった。」と先生に話したら、
   「やめられているからそう思うので、決して遅いということはない。」
と言って頂き、本当にその通りかもしれない思うことにした。


お付き合い有難うございました。  2005,7
                      



2014年2月23日・お陰様で普通の生活が出来るようになって73歳になりました。
断酒継続して18年、やっとといいますか、19年目に入っています。
今後も例会出席を怠らず、断酒継続していくつもりです。2014,2



ページのトップへ

  ・トップページへ

inserted by FC2 system